大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和58年(ヨ)1005号 決定

申請人

高橋稔

右代理人弁護士

柿内義明

宇野峰雪

野村和造

千葉景子

福田護

被申請人

学校法人聖マリア学園

右代表者理事長

フェルナン・ブァヴェル

右代理人弁護士

俵正市

坂口行洋

主文

一  申請人が被申請人に対し昭和五八年一月三一日付の休職措置の付着しない労働契約上の地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し昭和五八年八月以降本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り月額金一九万三九一一円の割合による金員を仮に支払え。

三  申請人のその余の申請を却下する。

四  申請費用はこれを五分し、その一を申請人の負担とし、その四を被申請人の負担とする。

理由

一  当事者の申立

申請人は、申請の趣旨として「被申請人は、申請人を休職中でない職員として取扱い、申請人に対し昭和五八年八月二五日以降毎月二五日限り金二四万二三八九円を支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、申請理由の要旨として、被申請人は、申請人が昭和五八年一月一三日から腰椎椎間板ヘルニアにより入院加療していたのに対し、申請人を同月三一日付で休職とする措置をなしたが、右措置は、聖光学院中学校、同高等学校就業規則の解釈適用を誤った無効の措置であり、仮に右措置が有効であるとしても、申請人は、同年三月一〇日には就労可能な状態となっているのであるから、右措置は既に失効している旨主張した。

被申請人は、申請の趣旨に対する答弁として「申請人の申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

二  当裁判所の判断

1  申請人が被申請人の設置、経営する横浜市中区滝之上一〇〇番地所在の聖光学院中学校及び同高等学校(以下「聖光学院」という。)に勤務する保健体育担当の教員であること、被申請人が、昭和五八年一月三一日、申請人を同年二月一日から同年一二月三一日までの間休職とする措置(以下「本件休職措置」という。)をなし、同日付書面をもってその旨を申請人に通知したこと並びに被申請人が職員に対して支払うべき給与は、当月分につき当月二五日が支給期日とされており、申請人の給与月額は昭和五八年七月当時交通費を除き金二四万二三八九円であるが、昭和五八年八月以降はその月額の八〇パーセント(金一九万三九一一円)を控除した金四万八四七八円が支給されていることは当事者間に争いがない。

2  一件記録によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  申請人は、昭和五〇年三月に日本体育大学体育学部体育学科を卒業し、同年四月聖光学院の教員として採用となり、以後主として同学院中学校において保健体育の授業を担当している。ところで、同学院の保健体育教師の職務内容は、心身の機能や健康について生徒らに理解を深めさせる保健授業(教室内における授業)と各種の運動を実践させ実技指導をする体育授業(戸外等における実技授業)との二科目を担当することになっており、特に同学院の教科の中心をなす体育授業においては、集団スポーツを通した具体的な実技、ルール等の指導のほか、実技指導中の生徒らの事故を防止するなどがその主な職務となっているが、年間を通した一学年当りの授業割当ては、原則として保健授業が三時限(一時限当りの授業時間は、四五分ないし五〇分)、体育授業が二九時限であって、申請人はこれまで週当り四、五クラスの体育授業を担当している。

(二)  申請人は、昭和五五年九月ころ腰痛を覚え始め、同五七年八月横浜市緑区鴨居所在の牧野記念病院に通院し、腰椎すべり症、腰椎椎間板ヘルニアとの診断により物理療法等の治療を受けコルセットを装着していたが、その間日常生活及び前記体育授業には格別不都合はなかったところ、同年一二月一八日ころ、業務外であるサッカーの試合に出場中腰部に激痛を覚えたのを契機として次第に歩行困難となったため、同月二八日同病院に入院し、病状が変らないまま同月三一日同病院を退院した。そして申請人は、同五八年一月五日、川崎市川崎区桜本所在の川崎協同病院において検査を受けた結果、病名は第四、第五腰椎椎間板ヘルニアであり、ヘルニア摘出手術と約五週間の入院加療を要するとの診断を受けたため、翌六日聖光学院副校長に入院する旨を伝えたうえ、同月一三日から同病院に入院して治療を受けていたが、その間同月一八日右手術を受け、術後の経過が順調だったことから、ほぼ予定どおり同年二月一八日同病院を退院した。

(三)  他方、被申請人は、同年一月一四日、申請人の妻から前記診断内容を記載した医師田中宏明作成の昭和五八年一月一三日付診断書(昭和五七年とあるは明らかな誤記と認める。)の提出があり、さらに、同月二四日ころ、申請人から「同月一八日に手術を受けたが、術後二週間は動けず、その後の二週間はリハビリテーションが必要であり、さらに二週間は自宅療養をしなければならないが、給与はどうなるのか。」との問合せを受けたことから、同月二八日、管理職会議を開いて申請人の処遇を検討した結果、申請人を同学院就業規則三七条二項四号に該る病気休職として同条項及び三八条一項四号を適用して本件休職措置にすることを決定した。

(四)  その後申請人は、前記川崎協同病院を退院後、同病院に通院して治療を受けていたが、同年三月九日、同病院の担当医師田中宏明から「術後の経過は良好にて就業可と判断する。」との診断結果を得たので、翌一〇日聖光学院に赴き、右診断内容を記載した同医師作成の同月九日付診断書を提出して復職を求め、さらに同月二三日ころから痛みもなくなり軽い運動を始めていたが、同月三〇日、同医師の「術後二か月以後の軽作業可、術後三か月で完治の見込みである。」との診断結果を得たので、同医師作成の同日付診断書を同学院に提出し、再度、同年四月の新学期から復職をしたい旨の申出をしたが、同学院はいずれも申請人の復職を拒否した。その間、申請人は、再三に亘り同学院に赴き、復職の希望を伝えたが、同学院はこれを拒否し、かえって休職中の者が無許可で学院内に立入ることを禁止する旨を申請人に文書を以って通知するなどした。そのため申請人は、同年四月、担当医師である同病院外科部長土屋恒篤の診察を受け、同医師から「腰椎椎間板ヘルニアにて入院手術し、経過良好にて症状は改善しており、術後三か月の現在ほぼ症状は治癒している。現症にて体育教師の業務に復帰可能と認める。」との診断結果を得たので、同医師作成の同月一五日付診断書を同学院に提出して復職を求め、さらに同年七月一八日、横浜市立大学医学部病院の医師腰野富久の診察を受けて、同医師から「腰椎椎間板ヘルニアにて手術的治療を受け、経過良好にて体育教師としての就労は可能である。」との診断結果を得たので、同年八月一日、同医師作成の同年七月二五日付診断書を同学院に提出して再三に亘り復職を申出たが、同学院は、申請人の症状は現在なお治癒したものとは言えないとして同学院の指定医師の診断結果がない限り申請人の復職は認められないとの従来の態度を改めず、申請人の就労を拒否している。

(五)  同学院就業規則には、休職事由として「その他医師の診断等により校長が休職措置の必要ありと認めたときは、その期間を定めて休職として措置する(三七条二項四号)。」と、復職事由として「休職期間の満了日以前であっても、当該休職事由の消滅又は就業可能と認められたときは復職を命ずることができる(四〇条一項)。」と規定されている。また休職期間中の給与については、同学院教育職員給与規則には「教職員が自己の心身の故障により休職を命ぜられたときは勤続一年未満のものは一か月、勤続三年未満のものは三か月その他のものについては六か月間給与の全額を支給する。ただし、それぞれの期間を経過した場合は給与の一〇〇分の二〇を支給する(二四条三項)。」と規定されている。

3  そこで、本件休職措置の効力について案ずるに、被申請人が昭和五八年一月三一日付でなした本件休職措置自体が有効であるか否かの問題はしばらく措き、休職事由の消滅(就労可能)について検討すると、同学院就業規則四〇条一項の規定は、当該職員が、診断書等により職務に従事させることが不能と認められたときに、その意に反して一定の期間職員としての身分を保有したまま就労を禁止された場合に対応して、客観的に休職事由の消滅(就労可能)した場合には、休職期間満了前であっても当然復職が認められるべきことを規定したものであって、その際の復職命令は休職事由の消滅についての確認行為にすぎず、使用者が復職を拒否している場合は、当然復職が認められるべき時期に復職したとみなされるべきであると解すべきところ、前記の事実によれば、申請人の手術後の経過は、その治療及び手術を担当した医師二名並びに術後約六か月後に申請人を診察した医師一名がいずれも手術後の経過は良好と診断しており、前記昭和五八年四月一五日付及び同年七月二五日付の各診断書には体育教師として就労は可能であると判定している(前記各診断結果については、その信用性を疑うに足る疎明資料はない。)こと、申請人の退院後の行動をみると、退院後間もなくは就業可能ではなかったが、昭和五八年三月二三日ころから軽い運動を始めており、その後自ら同学院に赴いて診断書を提出するなど術後約六か月を経過した時点において日常生活上も特に異常はないものと認められること、申請人の体育教師としての職務は、前記の事実のとおりであって、実技中心の授業内容となっているものの、担当教師自体さして過度の運動を要求されるものとまでは認め難く、職務遂行に特に不都合な点は見当らないことを総合すると、申請人は遅くとも術後六か月を経過した昭和五八年七月一八日当時、既に体育教師として就労可能の状況となっていたと認められる。

もっとも、申請人の疾病の性質及び職務内容からして、将来の再発の虞れにつき具体的に確実な予測は困難なものがあるが、その虞れは本件においては未だ一般的、抽象的な虞れにすぎないものであって、右のとおり就労可能の現状にある場合には休職事由の消滅を認めて復職させるのが相当である。

してみると、被申請人が申請人の就労を昭和五八年七月一八日以降拒否しているのは違法の措置であり、申請人が同日以降被申請人に対し本件休職措置の付着しない労働契約上の地位を有すること及び昭和五八年八月以降毎月二五日限り月額金二四万二三八九円の割合による給与支払請求権を有することが一応認められる。

4  次に保全の必要性についてみるに、一件記録によれば、申請人は被申請人から支給される賃金を唯一の収入源としている労働者であることが一応認められ、本件仮処分申請のうち地位保全の申請はその必要性があるということができるが、賃金仮払い申請については、被申請人は、前叙のとおり休職事由の消滅を争い、前記給与規則によって休職開始時から六か月を経過した昭和五八年八月一日以降その満了日である同年一二月末日までは給与月額の二〇パーセントを申請人に支払い、あるいは少くとも将来支払われるべきことになっているのであるから、右期間中の給与については、申請人の給与月額金二四万二三八九円の八〇パーセントの限度で保全の必要性が認められることは明らかであるが、その後の同五九年一月一日以降の給与については、右就業規則四四条には、休職期間が満了したときには退職させるものとすると規定されているほか、他方、同三八条には、学園が特にその必要性ありと認めた者はその休職期間を延長することがあると規定されていることからすると、休職事由の消滅(就労可能)を争っている被申請人が、右同日以降申請人をいかに処遇するか未だ確定的ではないと言わざるを得ない。してみると保全の必要性については、右同日以降本案の第一審判決言渡しに至るまで前記給与月額の八〇パーセントの限度でのみその必要性を認めるのが相当である。

5  以上の次第であるから、本件仮処分申請は、申請人が被申請人に対し本件休職措置の付着しない労働契約上の地位を有すること及び昭和五八年八月以降本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二五日限り給与月額の八〇パーセントである月額金一九万三九一一円の割合による給与の仮払いを求める限度で理由があるので保証を立てさせないでこれを認容し、その余は疎明が十分でなく疎明に代えて担保を供させることも事案の性質上相当でないのでこれを却下し、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 伊藤治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例